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标题:
石倉秀樹賞鑒夏凱漢詩
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作者:
万宽
时间:
2016-2-5 00:05
标题:
石倉秀樹賞鑒夏凱漢詩
きのう、中国浙江省の詩人で俳人でもある夏凱さんから一詩拝領した。
夏凱さんは日本語の俳句を詠んではいるが、日本語は学習中、読めばわかるが日本語で書けるまでには到っていない。
私は漢語で詩を詠んでいるが、中国語は読めても中国語で散文を書くまでには到っていない。
そこで、メールは、私は日本語で、夏凱さんは中国語。
お互い会ったことはない。
会うとしたら、きっと通訳が必要。
それでも、メールであるから、円滑にやりとりできる。
詩も俳句も、いろいろと約束ごとがあるから、コミュニケーションはできる。
贈石倉秀樹先生 中国浙江省 夏 凱
今宵水國月如珠,千里煙波只似無。帆影浮沈臨璧玉,花光掩映入珊瑚。
翻愁江海騰龍起,乍樂山川中聖扶。聞有天聲繞梁日,何須奉命待金吾。
今宵 水國の月 珠のごとく,
千里の煙波ただに無きに似る。
帆影 浮沈して璧玉に臨み,
花光 掩映して珊瑚に入る。
愁ひを翻して江海に騰龍起ち,
樂しめば乍ち山川 聖(清酒)に中(あた)る扶(たす)く。
聞こゆ 天の聲のありて繞梁(歌声がいつまでも続く)の日,
何んぞ須らく命を奉じて金吾を待たんや。
欣賞佳作。
仲秋の明月を賞(め)でているとても美しい詩だ。
夏凱さんは浙江省に住んでいる。浙江省には西湖がある。そこで水國といっているのだろう。
西湖での月見、行ったことはないので、きっととても美しいのだろうと想像するほかはない。
帆影浮沈臨璧玉,
璧玉は多分、明月。明月の月光を浴びて揺れている船。
花光掩映入珊瑚。
花光は多分、花火。花火が水に照り映えて珊瑚のように美しい、ということだろう。
この句は、珊瑚二字によって湖水の存在を暗に伝えており、とても巧妙だ。
乍樂山川中圣扶
措辞が勉強になる。山川を楽しめばたちまち、その山川が聖(清酒)に酔うのを助けるという構文。
翻愁と乍樂は、日本語に読み下すと対偶にならないが、原文では対になっている。
何須奉命待金吾
この句は実は、どういうことなのか、よくわからない。
金吾は、皇帝や大臣を警護する武官の古い官名。
ただここでは、押韻の関係で金吾といっているだけで、夏さんの仕事ぐらいの意味に理解しておけばよいだろう。
そこで、仲秋の明月を賞(め)でている今夜は、仕事なんかするものか、という心境を詠んでいる、と一応は理解した。
「七律・天使與悪魔共飲清濁(天使と悪魔とともに清濁を飲む)」について
夏凱さんから贈られた詩に、「乍樂山川中聖扶」という句があった。
この句の「聖」は清聖=清酒のことで、「中聖」は聖に中(あた)ると読み、酒を存分に飲むこと。
そこで「清聖」を用いた拙作『七律・天使與悪魔共飲清濁』をメールで送り、指正をお願いした。8時53分。
そして返事が、11時30分。
貴安,新作,吐露真言,見性情。後生聊歩一闕。
次韻石倉秀樹先生海國見寄
飛天一鑒瀉冰泉,萬片瑩光壘玉山。雲裡如龍臥高士,松間似鶴立清賢。
汗青猶在無名氏,荷紫可憐古老錢。不識恩波消客夢,當時劫盡謫塵寰。
天を飛ぶ一つの鑒(かがみ)氷を瀉8そそ)ぐ泉,
萬片の瑩光(清らかな光)玉山に壘(つも)る。
雲のなかには龍のごとくに臥す高士,
松の間には鶴に似て立つ清賢。
汗青(竹簡)にはなほ在り 無名の氏,
荷紫(古代の役人の服)には憐むべし 古き老錢。
識(し)らず 恩波の客夢を消し,
時に當たりて盡きるを却(しりぞ)け塵寰に謫(なが)されてあり。
飛天一鑒瀉冰泉,萬片瑩光壘玉山。
この二句は、山を照らす月を詠んでとても美しい。
雲裡如龍臥高士,松間似鶴立清賢。
高士,清賢を詠んで好句。
汗青猶在無名氏,荷紫可憐古老錢。
竹簡には無名の詩人・文人の詩句・文章の断片が残されている。
荷紫(古代の役人の服)を見れば、老錢(銅錢)のために働いた古人が思いやられる。
不識恩波消客夢,當時劫盡謫塵寰。
恩波は月光のことだろう。
月光が照らして消すのは人の世に謫流された人の夢
月光に照らして眼が醒めた古人は何を思ったのだろう。
當時劫盡謫塵寰は、荷紫を眺めていると、塵寰(人の世)に謫流されて盡きることなき当時の人のことが思いうかぶ、ということだろう。
わかりやすく言えば、生活のために官服を着て各地に飛ばされていた無名の高士,清賢を憐れむ、そういうことをとても美しく詠んだ絶唱で、雅趣がある。
おととい中国浙江省の詩友夏凱さんから劉禹錫の詩を原玉とする和詩四首が送られてきた。
メール四通各一首。
小生はきのう夏凱さんに和詩を送った。
詩の応酬はかつて上海の故張聯邦翁と何度かやりとりしたことがあるが、書簡で月に一首ずつというペース。
二日で各四首、今は早い。
歩夢得『秋詞』韻寄石倉秀樹
前路崎嶇更寂寥,溪聲不絶抵明朝。四圍山色行時盡,一天風雨在碧宵。
前路 崎嶇として更に寂寥,
溪聲 絶へずして明朝に抵(いた)る。
四圍の山色 行時(とき)に盡きて,
一天の風雨 碧宵にあり。
夏凱さんの詩は夜になって山色が見えなくなり、天には風雨。
小生は雨の中で読書に夢中になっていたが、気が付けば天に月。
歩夢得『浪淘沙』韻寄石倉秀樹
極目排空濁浪深,日懸長天共浮沈。狂風直下千峰沒,一路黄河簸欲金。
目を極めたり空へ排(むか)ふ濁浪深く,
日は長天に懸かかり共に浮沈す。
狂風 直下 千峰沒し,
一路 黄河は簸(ひ)りて金を欲っさんとす。
夏凱さんの玉作は黄河の怒涛を詠んで、その描写は、北斎の『神奈川沖浪裏』(かながわおきなみうら)のようにスケールが大きい。
黄河簸欲金:黄河は簸(み)で金をより分け掬おうとしている、という表現が秀逸。
拙作は、浪漫動人情調深で浪漫を主語としているが、浪漫は名詞であるかどうか、はなはだあやしい。
歩夢得『烏衣巷』韻寄石倉秀樹
狼藉青紅遍雜花,優柔風色柳絲斜。呢喃一對枝頭燕,訴盡相思不著家。
狼藉たり青く紅く遍き雜花,
優柔たる風色 柳の絲は斜めなり。
呢喃(つぶや)きをる一對の枝頭の燕,
相ひ思ふを訴へ盡して家へ著(かへ)らず。
夏凱さんの玉作は、二羽の燕の恋の語らい、小生の作は老人と村婦の閑談。
歩夢得『春詞』韻寄石倉秀樹
層林深處一金樓,遙對碧峰千尺愁。疑是桃花鏡中見,可憐春曉懶梳頭。
層林深きところに一金樓,
遙ひ對す碧峰千尺の愁ひ。
疑ふらくは桃花 鏡中に見へ,
憐れむべし 春曉 懶(ものうげ)に頭を梳(くしけず)るは。
夏凱さんの詩は、
疑是桃花鏡中見,可憐春曉懶梳頭。
この二句がとても美しい。
ただ、どう美しいかを言葉で説明できない。
鏡中の桃花にどう話しかけてよいかわからず、拙作は、愚翁無話頭 とした。
歩夢得『秋詞』韻
遙轉清光碧瓦霜,涼風吹徹葉偏黄。更深時覽前朝帖,筆下龍蛇字跡狂。
遙かに清光轉ず 碧瓦の霜,
涼風 吹き徹って葉は偏へに黄なり。
更深 時に覽(み)る前朝の帖,
筆下の龍蛇 字跡狂ほし。
(語釈)
清光:月光。
更深:深更。夜更け。
前朝帖:帖は、習字の手本集。前朝は、過去の王朝。
龍蛇:草書の飛動円転たる筆勢。
起承は、秋の薄暮の情景を描いてとても美しい。月明かりが照らす碧瓦の霜、黄葉が幽美。
転結は、深夜に古人の草書を鑑賞。
「筆下龍蛇字跡狂」は秀句。暗がりのなかで、龍蛇が今にも動きだしそうな草書のみごとな筆跡を活写している。
歩夢得『浪淘沙』韻
鐘杵一時猶未停,半方寒月不曾生。深山古寺無人到,唯有夜風吹雪聲。
鐘杵(鐘をつくこと)一時なれどなほ未だ停(や)まずも,
半方の寒月 いまだ生ぜず。
深山の古寺に人の到るなく,
ただ有り夜風の雪を吹く聲。
欣賞佳作。
空寂なる情景を描いている佳作。
鐘声と夜風。音が寂靜の効果をあげていることが勉強になる。
寒月不曾生は、寒月はまだ昇っていない、といっているのだが、寒月があってもおかしくない情景。寒月の有無、虚実がとても面白い。
鐘声、夜風、寒月をめぐる虚実は、漢詩の手法であるだろう。
閑さや岩にしみ入る蝉の声
玉作を拝読し、芭蕉が漢籍によく親しんでいたことを思いだした。
(語釈)
不曾=未曾=没有。半方=一方。と解釈したが、半方=一方でよいかどうか。
歩『酬樂天揚州初逢席上見贈』韻
冰輪初上清涼夜,直照光華八尺身。斷續徽絃塵外曲,依稀環珮鏡中人。
空憐玉樹銷花氣,猶見銅盤集露春。何事啣符夢醒處,隔簾香霧繞青神。
冰輪 初めて上る 清涼の夜,
直に照らす光華 八尺の身に。
斷續す 徽絃 塵外の曲,
依稀たり 環珮 鏡中の人。
空しく玉樹の花氣を銷すを憐れみ,
なほ銅盤の露の春を集むるを見る。
何事ぞ符を啣(は)み夢醒むる處,
簾を隔つる香霧 青神を繞る。
夏凱さんの玉作、残念ながら私にはよく読み解けない。
徽絃、環珮、啣符、青神が何であるのか、知識がない。
青神は、養蚕の神、青衣神がろうか。
冰輪は月。冰輪初上清涼夜,直照光華八尺身。はとても美しい。
しかし、よくわからなくても
斷續徽絃塵外曲,依稀環珮鏡中人。
空憐玉樹銷花氣,猶見銅盤集露春。
この二聯の對偶の美しさはわかる。予想できる。
昨日、夏凱さんから藤原良經の詩への和詩二首を拝領した。
夏凱さんは博覧強記。日本の藤原良經の詩をも読んでいることにまず驚いた。
その一は、『水鄉春望』
さっそく唱和させてもらった。
歩藤原良經『水鄉春望』韻寄石倉秀樹
雪浪激揚孤篷底,蚌燈明滅片水間。欲隨煙靄還人境,依舊青螺是遠山。
雪浪 激しく揚がる孤篷の底,
蚌燈の明滅 片水の間。
煙靄に隨ひて人境に還(かへ)らんとすれば,
舊に依り青き螺は是れ遠山。
欣賞佳作!
蚌燈明滅片水間
蚌は真珠貝。蚌燈明滅は、蚌が育む真珠が点滅していることだろう。とても美しい句だ。
依舊青螺是遠山
青螺は青い巻貝、法螺貝など。蚌燈と照応して、とても幻想的で美しい作品だ。
歩藤原範時『山中花夕』韻寄石倉秀樹
山中花夕寒禽宿,月上春時羸馬行。不覺臨風無一事,倚天長嘯兩三聲。
山中 花夕 寒禽宿り,
月上 春時 羸馬行く。
覺えず 風に臨んで一事なく,
天に倚りて長嘯す 兩三聲。
欣賞佳作。
この和詩は、原玉を踏まえて詠まれており、和詩としてよくできている。
藤原範時の詩は、全対格でよく調っているが、四句みな景。そこが平板。
夏凱さんの和詩は、轉・結に情があり、起承転合のメリハリがある。
「劉禹錫の詩に夏凱さんと和す 其五 歩夢得『浪淘沙』韻」について
昨日、夏凱さんから劉禹錫の詩への和詩二首拝領し、和詩を送った。
日本ブログ村ポエムブログ記事トーナメント「愛と欲」に参加する「望海潮・夜航情海破狂瀾(夜に情海をわたり狂瀾を破る)」をアップ、手直しののち、4時頃にメールを開いて、夏凱さんから絶句と律詩二首を拝領、
夏凱さんの和詩の原作をネットで検索、一応読み、あれこれ考えて作詩に着手したのが3時10分頃。
夜、会合があるので、4時45分までにはすべて終えたい。
残されている時間は35分。律詩は30分、絶句は5分という目途を立てて、まず手間のかかる律詩から詠んだ。
4時44分にメールを送信。
歩夢得『始聞秋風』韻寄石倉秀樹
柳煙橋畔與君別,暮雨聲中獨自回。草色青時春已覺,江潮湧處月偏來。
虚簷一線蛛絲掛,永漏兩張蟬翼開。木葉紛飛惆悵事,不堪落日下樓台。
柳煙の橋畔に君と別れ,
暮雨の聲の中を獨自(ひとり)回る。
草色 青き時は春をすでに覺へ,
江潮 湧く處 月 偏へに來たる。
虚(むな)しき簷に一線 蛛の絲掛かり,
永漏(長夜)兩張(二枚)の蟬翼開く。
木葉 紛れ飛ぶ惆悵事(メランコリー),
落日の樓台に下るに堪えず。
欣賞佳作。
虚簷一線蛛絲掛,永漏兩張蟬翼開。
虚簷はニュアンスのある措辞。虚(むな)しき簷ー何が虚であるのかよくわからないが、虚空に張り出した簷の意味に解釈した。
永漏は長夜。秋の長夜に蟬が翼を開く、とは、どういうことか。これもよくわからない。
この兩句はよくわからないが、心象を描いて婉約、とても美しい。
木葉紛飛惆悵事,不堪落日下樓台。
「惆悵」は英訳すれば、melancholy。
昨日、夏凱さんから劉禹錫の詩への和詩二首拝領、その二。
歩夢得劉禹錫『竹枝詞』韻寄石倉秀樹
青青楊柳拂人頭,片片桃花逐水流。小佇風前歌一曲,更添眼底十分愁。
青青楊柳 人の頭を拂ひ,
片片たる桃花 水を逐(お)って流る。
小しく風前に佇みて歌一曲,
更に添ふ 眼底(眼の前)に愁ひ十分。
歩源義昭避亂之舟江州湖上韻寄石倉秀樹
水晶簾卷黛痕愁,玉指輕彈一焱悠。疑是寒音銷不盡,冰蠶絲上動清秋。
水晶の簾卷いて黛痕愁ひ,
玉指 輕く彈く一焱悠。
疑ふらくは寒音 銷えて盡きず,
冰蠶の絲上に清秋動く。
焱悠:火花の飄舞。線香花火か。よくわからない。
冰蠶:蚕の美称。
疑是寒音銷不盡,冰蠶絲上動清秋
とりわけ、冰蠶絲上動清秋。メランコリーを繊細に描いて、美しい二句だ。
歩源晴信『新正口號』韻寄石倉秀樹
兩竿清竹月籠遲,紗帽橫眠一枕詩。不覺微風吹夢去,綺窗透出小桃枝。
兩竿(ふたさお)の清竹に月籠もること遲く,
紗帽 橫眠す 一枕の詩。
覺へず 微風の夢を吹いて去り,
綺窗に透けて出ず 小桃の枝。
不覺微風吹夢去,綺窗透出小桃枝・・・欣賞好句。吹夢去、透出、美しい措辞だ。
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