本帖最后由 美空 于 2014-6-28 22:45 编辑
山村暮鸟 诗集《云》自序
(美空 译)
我已然,过了人生的一个大坎,并将另一个自己抛在了身后。所谓十年如隔世。如此,我降生此世,已是久远久远、又久远的往昔之事了。虽然一切,尽如昨日与今日般浮现,它们真的,已于不知觉间,悄然逝去了么,一生,如此短暂。如此,即是好的么。却正因此,生命,才愈珍贵。
贪恋永久,不免孤寂虚空。
回头看,自己也写了很多的诗。如此一路坚持着,在写。
而那些诗,又是什么?忆起这用全心维系的写作生涯,真的、真的、那些文字,决非玩弄戏笔。
相比往昔,玩弄文字的人之多,是因了众人“沉溺花间而伤实;喜好果实,不觉忘风雅①”。
这虽是松尾芭蕉的感想之一,却真正所言不虚。
还是要说。--花,要爱。果,愈应食。
是怎样孩童般纯真的贪婪呵,况且这,是真正存在的么?于如此之深的客观自然。
自己也是直到如今的光景,才渐渐对此陷入不由自主的深切联想。许是因了年岁罢。
不能忍受无艺术的生活。也无法忍受无生活的艺术。艺术?生活?自始至终,必定要选择其一。于我,却是两者皆不可弃。
对迄今的自己,是个大烦恼。
如此,若被问到“而今的你?”的话,该如何回答,恰如那道元②僧人的溪流山色,不尽幽远。
欲“食果”的当儿,看到的自己,亦不过是对着滚落地面的马铃薯只知合掌礼拜的自己。
愈不能诗,诗人,才成为诗人。
渐感对诗无从下手,而感到无比喜悦。
所谓与其作诗,不如做田。多么好的箴言。只是如此。
好诗人不粉饰诗。
真农夫不耽于田。
要说的并非田与诗。亦非诗与田。非田的诗。亦非诗的田。诗非田,田非诗。非田非诗,非诗非田。
怎么说,事实上田是田,诗是诗。
——所谓艺术是表现的艺术。没错。但是真正的艺术远不限于此。要说的是,在被表现之外,还必须,要有点什么。这一点至关重要。是什么呢?换言之,是宗教中与爱、与真如的行为紧密联系的信念。那又是什么,如同信念之本质,无法言说。非要解释为某种目的某种寓意都是徒然。唯此,才是做艺术并成就真艺术的要诀。
艺术天赋的有无,全在于此。一件作品,全因了某些叙述某些表现,或成、或败。彻头彻尾,都由这个“什么”决定。
不要让那妖精逃掉。
没有在绵长的艺术道路上的体验基础,似乎亦无法捕捉呵。
好的生活比什么都重要。寂寞也好苦恼也罢,为了好的生活,且彼此努力,修行再修行。
于 茨城县矶浜 山村暮鸟
注1:<风雅>(日语汉字:風流)日本文艺美的理念之一,优美纤细、文明脱俗,洗练卓越的美的意识和行为。
注2:<道元>1200-1253日本镰仓时代僧人。日本曹洞宗的创始人。号希玄。在比睿山出家,师从建仁寺的荣西。宋时赴中国天童山受业于如净。
山村暮鸟:1884年(明治17年)出生于群马县榛名山麓的栋高村(现群马县)。本名土田八九十。于筑地圣三一神学院求学期间开光悟道,毕业后成为传道士转任于秋田、仙台、水户等地、在宗教界及诗坛崭露头角。以敏锐的感觉表现引起世人瞩目。第二诗集《圣三棱玻璃》遭恶评、在感染肺结核、遭遇失业、流浪等一系列不幸中创作了大量诗歌和童话童谣。经历了人道主义作风,晚年诗作趋于温暖平易的自然讴歌。1924年12月(大正13年)卒,享年40岁。代表作《风对草木私语》、《云》、童话集《ちるちる、みちる》等。
《云》出版于山村暮鸟卒后的大正14年(1925年)1月。
原文出处:青空文库www.aozora.gr.jp
附原文:
人生の大きな峠を、また一つ自分はうしろにした。十年一昔だといふ。すると自分の生れたことはもうむかしの、むかしの、むかしの、そのまた昔の事である。まだ、すべてが昨日今日のやうにばかりおもはれてゐるのに、いつのまにそんなにすぎさつてしまつたのか。一生とは、こんな短いものだらうか。これでよいのか。だが、それだからいのちは貴いのであらう。
そこに永遠を思慕するものの寂しさがある。
ふりかへつてみると、自分もたくさんの詩をかいてきた。よくかうして書きつづけてきたものだ。
その詩が、よし、どんなものであらうと、この一すぢにつながる境涯をおもへば、まことに、まことに、それはいたづらごとではない。
むかしより、ふでをもてあそぶ人多くは、花に耽りて實をそこなひ、實をこのみて風流をわする。
これは芭蕉が感想の一つであるが、ほんとうにそのとほりだ。
また言ふ。――花を愛すべし。實なほ喰ひつべし。
なんといふ童心めいた慾張りの、だがまた、これほど深い實在自然の聲があらうか。
自分にも此の頃になつて、やうやく、さうしたことが沁々と思ひあはされるやうになつた。齡の效かもしれない。
藝術のない生活はたへられない。生活のない藝術もたへられない。藝術か生活か。徹底は、そのどつちかを撰ばせずにはおかない。而も自分にとつては二つながら、どちらも棄てることができない。
これまでの自分には、そこに大きな惱みがあつた。
それならなんぢのいまはと問はれたら、どうしよう、かの道元の谿聲山色はあまりにも幽遠である。
かうしてそれを喰べるにあたつて、大地の中からころげでた馬鈴薯をただ合掌禮拜するだけの自分である。
詩が書けなくなればなるほど、いよいよ、詩人は詩人になる。
だんだんと詩が下手になるので、自分はうれしくてたまらない。
詩をつくるより田を作れといふ。よい箴言である。けれど、それだけのことである。
善い詩人は詩をかざらず。
まことの農夫は田に溺れず。
これは田と詩ではない。詩と田ではない。田の詩ではない。詩の田ではない。詩が田ではない。田が詩ではない。田も詩ではない。詩も田ではない。
なんといはう。實に、田の田である。詩の詩である。
――藝術は表現であるといはれる。それはそれでいい。だが、ほんとうの藝術はそれだけではない。そこには、表現されたもの以外に何かがなくてはならない。これが大切な一事である。何か。すなはち宗教において愛や眞實の行爲に相對するところの信念で、それが何であるかは、信念の本質におけるとおなじく、はつきりとはいへない。それをある目的とか寓意とかに解されてはたいへんである。それのみが藝術をして眞に藝術たらしめるものである。
藝術における氣禀の有無は、ひとへにそこにある。作品が全然或る敍述、表現にをはつてゐるかゐないかは徹頭徹尾、その何かの上に關はる。
その妖怪を逃がすな。
それは、だが長い藝術道の體驗においてでなくては捕へられないものらしい。
何よりもよい生活のことである。寂しくともくるしくともそのよい生活を生かすためには、お互ひ、精進々々の事。
茨城縣イソハマにて
山村暮鳥
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